海物語①

今まで少し堅い感じでブログを書いてきましたが

「水樹凛」と言う人物を知って貰いたいと思い

今日からしばらく少し恥ずかしいですが私の昔話にお付き合い下さい。



私の地元は海に近く5歳の頃から親に連れられサーフィンをしていました。

進学で地元を離れる18歳までずっと続けていたので

高校生の頃にはインストラクターまでさせて頂く事が出来ました。

小学生くらいの時は親に対して

「たまには海以外の所にも連れて行ってくれ」

と思っていたのが、中学2年生の頃には親よりも先に海に行って

夏休みには2ヶ月間サーフショップの留守番をしながらそこに寝泊りをし

朝一の波情報から始まり、昼間はスクールで教え、親からの連絡で波情報を教え、良い頃合いの時に親が海に来て一緒に海に入り、夜になればバイバイと笑顔で手を振り、私は家に帰らないと言う親公認のプチ家出少女になっていました。


あの頃はそれが「当たり前の環境」だと思っていましたが

今になればあれはとても特別な環境で

水樹凛と言う人格を作っていくに当たってとても大切な時間だったと感じています。


まだ10代の頃に当たり前の様に大人達と一緒に海に入り

周りの大人達も私が子供だからと色眼鏡で見ない、、

「水樹凛」と言う1つの人格者として接してくれていました。

性別や年齢で相手を見ない。

目の前にいるその人と対等に接する。

これが出来そうで意外と出来ないんですね。

でも私は幸い10代なのに周りは20代〜上は70代の人まで、、

男性も女性も、ジェンダーレスの人、

恋愛も異性に対してだけでなく同性同士の人も当たり前に沢山いて、、

日本人だけではなく多国籍の人達とも会話をし

そのおかげで物事を多角的に見る事の大切さを学ばせて頂きました。

、、書けば書くほど本当に恵まれた環境でしたね。

社会に出てからその環境がどれほど恵まれていたのか

そして何故自分と感覚の違う人を人間は差別視するのか

その事を理解をする事が逆にとても難しく感じていました。


自分とは違う意見だからこそ聞いていて楽しい

自分とは違う目線で物事を見ているから楽しい

そして自分だけでは気付けなかったであろう事柄を

教えてくれた事に感謝をする。


常に何事に対しても感謝を忘れない


その事だけはとてもきつく教え込まれましたが

他の事は自分で感じ、自分の意思で行動をする。

自分の意見はハッキリと伝える。

分からなかったら恥ずかしがらずに「知らない自分」を周りに曝け出し教えて貰う。


知らない事は恥ではない。

知らないのに聞こうとしない事の方が恥。

そしてずっと知らないままでいる事は人生の損。


そう教えられて来ました。

だから誰かが困っている時は自分から手を差し伸べてあげて。

自分が困った時は遠慮なく周りに手を取ってもらって

必ず自分が差し伸べた手を取ってくれる人はいるから。

岸田も今日のブログで「道を聞かれる人になりなさい」と書いていましたね。

困った時に道を聞きたくなる人って「陽の雰囲気」がありますから。

決して仏頂面の人には聞こうとは思いませんよね。

ですが私の言葉にすると少し変わります。

道を自分から教えに行ける人になって下さい」

困っていても自分から道を聞く事はとても勇気のいる事

それは海にいた時も海外に1人で行った時にもとても強く感じました。

だからこそ困っていそうな感じの人がいたら

自分から道を教えてあげれる人になれば

その行いは必ずまた別の形で自分に返って来ますからね。



あなたとの出会いに感謝します。








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